一度きりの美しさ

私たちは流れている。流れの中にいるのではなく、私たち自身が絶えず流れている。わたしもあなたも。あれもこれも。

先日、テレビで生物学者の福岡伸一さんの「最後の講義」を観ました。

「最後の講義」-もし、今日が人生最後なら、何を伝えたいか。-

生命とは何か。福岡さんの答えがそこにはありました。講義ですから、相手は学生です。未来を担う若者たち。このお話を聞いて彼らの中に何かが芽生え、自らが考え、これからの人生や社会を創り出すということを投げかけているように感じました。

一年前の私とは今の私は別人である。

精神論ではありません。物質的に入れ替わるのだそうです。

以前『SWITCH達人達「坂本龍一×福岡伸一」』で、音楽の一回性についてお話しされているのを思い出します。私たちが忘れがちな複製できない美しさ、神秘さについて。

フラメンコには、基本的に楽譜がありません。もともと文字を持たない人たちのものであったからかもしれませんが、もし、クラシックのように楽譜があったら今のようなスタイルにはなっていなかったでしょう。もちろん楽譜があっても、演奏するたびに一回性の美しさがそこにはありります。
フラメンコの場合は、そこにドキドキ感が増すというか。その一回性に美しさを見いだせるかそうでないか、イチかバチか。

私たちは流れている。あなたもわたしも。

その流れの中で、一度きりの美しさを共有できたら。同じ美しさを見ることができたら。

あなたのフラメンコのある日常と、あなたが望む道を進むことを心から応援しています。