それが偶然なのか、それが道なのか

情報があふれる今、

どれが「偶然」なのか

わからなくなることがあります。

ネットの情報収集は言わずともながら、便利だけれど

どれだけ自分で取りにいかなくちゃいけないのかと、思う。

しかし頭で考えたことよりも、「偶然」が導き出したもののほうが信じられるのはなぜでしょう。

何かに任せたいのか、

何かのせいにしてしまいたいのか。

私は、偶然はすでに知っている奇跡だと思っています。

そして、その偶然は

信じるに値するものだとも思います。

けれども、私の目の前にある「偶然」は

はたして本物なのか、それとも本物を装った作り物なのか。

もしも、わたしの人生を、生きる意味も含めて、知っている存在があるとしたら

「スマホでさがしてごらんなさい」と言うかしら。

老子がいうところの「道Tao」とは、すべての根源とされていますが

それは誰にでもあるそうで

誰もがその道にそって生きていくことが、生きる意味である(ということかなと、今は思う)

私のイメージで「道」は、取りに行くものでも、探し当てるものでもなく

思いがけずそこにあった、とか

そういえば、みたいな

偶然に見える、必然のようなもの。

そして誰にでもある、それぞれの「道」は

そのすべてが同じ方向に向かっているそうです。

それは

「ゼロ」「0」

ゼロになるべく、私たちはさまざまなものに出会い

進み、舵を切り、悩んだり、考えたり、答えを出したり、なんだかんだ、ある。

今起きている物事も、感情も、

陰と陽、どちらに傾くこともなく、

ゼロになるのには、どの道を選んだらよいか。

それを教えてくれるのが「偶然」なのかなと思います。

うまくまとまりませんが、

言ってしまうと、思い切り偶然に任せたいなと思う今日この頃なのです。

けれど生活するには、そうもいかない。

時間で動かなくちゃいけないし、天気予報の雨の予想で洗濯物を干すかをきめなくちゃいけない。

でも、できるだけ、もっと任せたいな。

任せるのに必要なのは、自分を信じ、責任を取る覚悟、かな。

暑さが厳しいですね。

どうぞ大事に、夏をお過ごしくださいね。