沸き起こる感情を、言語化することで、
本当の自分の気持ちに気づくことがあります。
でも、この「言語化」がぴったりと当てはまらないと、
本来の気持ちは、ざわざわとしっぱなしだったりもします。
不安な状況が続く今、この、心のざわざわ を持っている方も多いのではないでしょうか。
私もします。心のざわざわ。
このざわざわ、は何だろう。
SNSなどで、さまざまな情報が簡単に見えてしまう今、
掲載されている記事に、ざわざわすることがありませんか?
それは、嫉妬?もしや、妬み?
「嫉妬」は、jealousy ジェラシー。やきもち。
うちの娘は、飼っていたうさぎを私がかわいがると、わたしの背中に乗ってきてよく言っていました。
「どっちがかわいいの?どっちが好きなの?そんなに撫でないでー」
これは、嫉妬。同じものを持っている相手が有利になることへの恐れや不安。(この場合、むすめとうさぎが同等だと、娘が思っているということだ。)
「妬み」は、envy うらやみ、憎らしく思うこと。
自分と同じものを持っているのに、不当に、相手のほうが良い待遇を得ていることを憎らしく思うこと。
もしくは、自分には持っていないものを持っていることが、不当だと思うこと。
「嫉妬」も「妬み」も、こう書いてしまうと
ものすごく悪い感情のように見えますが、
これは、人間が生きていくうえで(動物もそうかもしれない)必要な感情なのだそうです。
とはいえ、「嫉妬」「妬み」から、相手を攻撃してしまうことは
何も生み出さない。
「嫉妬」があれば、相手に負けないように自分を磨くことができるし
「妬み」があれば、そうなりたい ということなのだから、
そうなるように、モチベーションをあげて取り組むことができる。
自分に何が足りなくて、何が必要かに気づくチャンス。
嫉妬も、妬みも本当の自分の気持ちに気づくための、通過点に過ぎないのかも知れません。
優しいあなたは、嫉妬や妬みのある自分に気づいたら
罪悪感を抱くかもしれない。
でもね、
その必要はないんですよ。
嫉妬や妬みのすぐ先には、羨望があるように思います。
「羨望」せんぼう うらやましく思うこと
羨望の眼差し。
同じく、自分にないものを見て、うらやましく思うことですが
そこにはきらきらとした憧れ、希望が見えるようです。
もしも、あなたが、あなたの心のざわざわに罪悪感を抱いてしまっていたら
それは、羨望の眼差しに似たもので、
あなたが必要な、本当の気持ちに気づく通過点に過ぎないと思ってくださいね。
こうやって、丁寧に、湧き上がる感情に向き合うことを対話と呼びます。(と、私は思う。)
対話は、聞き役です。
全てを受け入れて、丁寧に聞いてあげると、
本当の自分に、自分らしさに、気付くことができる。
対話セラピーは、自己対話のお手伝いでもあります。
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