ピアノの思い出

ピアノがなんとなく弾けたので、よく学校の合唱の伴奏をしていました。

今はオーデションたるものがあるそうだけど、私の頃はそんなのなかったので

特に技量を測られることもなく、クラスで選んだ曲とか、校歌を弾いていたのですが

私はこの、歌の伴奏がとても好きでした。

歌に合わせる、指揮に合わせる、時にリードする、支える、そういうのが好きで。

歌詞もあるので、ここはこういう感じかな、強弱とか緩急とか

私なりの世界のようなものを作るのが楽しかった。

くどいようですが、誰にも、何にも、技量については言われなかったから、勝手に自由に、でもわりと真剣に。

中学二年生の時も、クラスで選んだ曲の伴奏をしました。

歌のテーマが宇宙を翔る天馬だった思う。

合唱祭が終わり、後日、教育実習生でその日だけ音楽の授業の担当になった先生が

全体の歌の感想のあと、「それと、伴奏がとてもよかった」

と言ってくれました。わたしは先生と話したこともない。多分、先生もどの子が伴奏したかわからない。

ああ、わたしのピアノをわかってくれたんだ。

褒められる、とも違う、本当に理解してくれたんだと、思ったのを覚えています。

私の世界、わかってくれた。

その後先生との交流もなく、私はそのことばで、もっと練習してピアニストになるでもなかったけれど、

その先の、ピアノを弾く先の、

物事への向き合い方や作りたい世界、そういったものがその頃から私にとって大切だったのだなと思います。

けれども、どんなに向き合い、頑張っていたとしても

わかってもらえないのは、寂しい。

誰か一人でも、ちゃんとわかってくれる人がいたら、報われるような。

「ちゃんと」というのが、難しいけれど

それはきっと、わたしにしかわからない。

わかってもらえたら嬉しいのに、どこがどうとは言えないのです。

不思議なもので。

いくつになっても、ちゃんとわかってもらえたら嬉しい。

そういった出会いがあったら、嬉しいし

そういう出会いを与えられる人になりたいなとも思います。

ああ、この人、わかってくれている。

そんな風に、思ってくれるような人でありたい。

丁寧にお話しをお聞きします。

「誰かに話したいな。」そんなお気持ちを大切にしてください。

上手に話そうとしなくても大丈夫です。

どうぞお気軽にお声かけくださいね。