先日、娘と行った陶器市で焼き栗を売っているお店がありました。
意外かも知れませんが、思い出したのがカラコレス。
カラコレスは以前の記事にも書きましたが、食用カタツムリのことです。「カラコーレー!カラコーレー!」と、カタツムリ売りの声が初夏の風物詩だそうです。
でも歌詞にはちっとも出てこない。このカタツムリ売り。
代わりに出てくるのが焼き栗売りです。(2歌と呼ばれるところ)
しかも季節は寒い冬。
そして訳をいろいろと見てみると、この「売り手が誰なのか問題」が出できました。
売っているのはおじさんで、女の人に売っている。
売っているのはおばさんで、若くない。
などなど。
そもそも焼き栗って、若い女の人は売らないのかな、とも思いましたが
歌詞をそのまま見る限り、おじさんでもおばさんでもないような気がします。
¿Porqué vendes castañas asadas
aguantando la nieve y frío?
con tus zapatos y tus medias caladas
eres la reina para tu marido.
Regordonas que se acaba,hermosas como recíen casada,
y tu las vendes por un querer.
私が歌う時はこんな感じです。
どうして焼き栗を売るの?こんなに寒くて雪まで降ってるのに。
君の靴と短いストッキングを履いていれば、君はだんなさんのお姫様。
採れたばかりにまん丸で、新婚さんみたいにきれいだよ。(たぶん栗のこと)
君は愛するだんなさんのためにその栗を売ってるんだね。
売っているのは、女の人。(たぶん若い)
そんな子が、こんな寒空の下で、なんだって焼き栗を売ってるんだい?夫のためなのかい。愛してるんだね。
みたいな。
そしてこう続きます。
Caracoles,caracoles
mocita,que ha dicho uested?
Que son tus ojos dos soles,
y vamos viviendo ¡y ole!
カラコレス、カラコレス
お嬢さん、何をいってるの?
君の瞳は二つの太陽。
生きていこうよ、オレー!
愛のために、こんな寒いところで栗を売っている娘さんにおじさん(たぶん)が言うのです。
この2歌からのつながりがとってもチャーミングで私は好きですが、日本の踊りでは使われることが多くないかも知れません。
けれどもカラコレスは、1歌とこの2歌で1曲が完結されると思います。(1歌は、¡Cómo reluce! またはManuela Reyes)
先日クルシージョに行ってきた、マヌエル・リニャンのカラコレス。
あえてこの衣装、そして表情を作ることもなく(彼ならもっと女性らしい表情も表現もできるはずです)ありのままの彼のアルテを魅せたいという決意のようなものも感じます。
格好いいです。
クルシージョはグアヒーラでしたが
ため息をつくようにーとか、もっとセクシーにーとか、初めて言われました。
そして、フラメンコってそうだ、踊るんだ、となぜか思いました。
振りをなぞるだけではなくて、音楽を感じて、踊るんだと。(もっともですけどね。)
彼の「いいじゃーん!」をまた聞きたいな。
あなたのフラメンコのある日々を心から応援しています。