「非凡」という言葉を、初めて使用しているのを目にしたのは(こころに止めたのは)大学生の時でした。
アンディー・ウォーホールの展覧会を観た後、感想を書くアンケートがあって、一緒に行った友人が書いているのを見た時。(ごめんなさいね。見えちゃったんだもの)
「彼の非凡さに」(その先は覚えてない)
ああ、これを非凡というのか。
そう思ったのを覚えています。
時はずっと、ずっと過ぎ、
新しい学校を作る構想に伴い、特徴のある?独特な?良さを持つ子供の映像を取るための募集がありました。
よく考えたけど、
うちの娘ではないかも。
と、思った。
いろんな良さを持つ子がいて、でも学校では活かせない良さだったり、学校では浮いてしまったり。変わった子と呼ばれることもある才能。
でもだれも真似のできないような素晴らしい才能。
これを非凡というのかな。
我が家の娘は、なかなか面白い子です。
愛情が内にも外にもあり、まじめだけどユーモアもある。
学校が好き。勉強も、お友達と遊ぶことも好き。
これは、非凡?
では、ないよなー。
でも、そもそも「非凡」って何だろう。
私には持ってない良さのような、どうしたって、手に入らない、きらきらしたもののような。
そもそもの凡も非凡も、その人の良さにしたいものです。
なんというか、
誰にもない素晴らしさを非凡とするのなら、
だれでも、非凡でいいじゃないか。
だれにも真似できない、その人の非凡さを、見つけられる人になりたいし、
見つけられる世界はすてきだなと思います。
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