小学校一年生の娘が、急に不安そうな顔で聞いてきました。
「もし、ひとりでおばあちゃんになったら、どうやってくらせばいいの?」
自分のおばあちゃんや、ママである私のことを心配しての事かと思ったら、自分のことらしい。
まさか、7歳に「介護サービス」や「介護付きホーム」について説明するとは思いませんでした。
ちょうど、認知症の検査として広く使用されていいる「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発された、認知症専門医である長谷川和夫先生が、ご自身が認知症になられたことを公言されてから書かれた本を読んでいたので、そこに書かれていた「助けてもらいながら生きる」ということも少し話してみました。
「ボクはやっと認知症のことがわかった」
言語聴覚士としてリハビリ施設で働いているころ、何度となくこの検査をしてきました。
いくつかの質問で、記憶力、見当識(自分が置かれている状況がわかる力 今日の日付や今いる場所など)、注意力、言葉の流暢性などをみていきます。そして正当した点数から、認知症の疑いがあるかどうかを判断します。
その開発者である著者が、年齢を重ね、生活の中の「確かさ」が揺らぎ始め、ご自身の経験から「認知症」であることを自覚してからの今。
認知症は暮らしの障害。今までの暮らしの中で、うまくできないことがある状態。
決して、手立てのない病気ではない。決して、「終わり」ではない。
助けを借りながら、自分らしく、これからに向けて前に進む姿が飾りのない優しい言葉で書かれています。
認知症はいくつかの種類がありますが、どの種類であっても、最終的には「自分らしさだけの脳」になっていくというお話もあります。なので、その人がその人らしく生きていくために(もしくは人生を終えるために)助けが必要になっていくのです。
そのようなケアを、「スピリチュアル・ケア」とも呼ばれます。
このスピリチュアルは、スピリット、魂、人それぞれの心、のような意味です。まさに「自分らしさ」。
リハビリを担当していた当時、病院や施設によって、その方の背景が(職歴や出身地、家族歴、趣味など)何もわからない状態で対応することもありました。
リハビリに限らず、その人を知るにあたって、そういった情報はとても大切です。
でもないのでしょうがない。お話を丁寧に聞いて、できるだけその方の暮らしに思いを巡らせ、共感することに努めます。おそらく、単語の理解だけではない、ことばの向こう側にある何かに寄り添えるように、少しずつ、広く、深く。
そういったケアを、リハビリ以外でどんな人にでも、できないかなと考えたのがわたしの「対話セラピー」です。
フランスに画家や音楽家など、アーティストのための老人ホームがあります。(しかも国立!)その中では、様々な状態の人達が自分らしく生活しているわけですが、その意志表出、欲求要望が鮮やかで、眩しいくらいにいきいきとしています。
個人主義の国ならではなのかもしれないなと思ったりしますが、食べるもの、見るもの、聴くものに妥協がありません。
何かと忙しい毎日。誰かを思いやり、何かをこなして。はて。
私は何が好きだったかな?
人は誰でもいつだって、終演に向かって生きています。
自分らしさは、もう自分の中にあるもので、今はちょっと忘れているのかも知れません。
その、迷子中の「自分らしさ」を思い出すお手伝いをしていきたいと思っています。
あなたがあなたらしく生きることを、どこでも、いつでも、応援しています。