先日、阿木燿子さんプロデュース、「Ay曽根崎心中」を新国立劇場で観覧してきました。
フラメンコの芸術としての可能性、日本文化の素晴らしさ、そして何よりエンターテイメントとして、さまざまに交じり合い、高め合い、大変すばらしい舞台でした。
芸術、文化、伝統の継承は、観る側がいないとままなりません。
技術や能力を切磋琢磨するのに、または、それを支えるために、収入という面はとても大切だと思います。そのためには観客が支出することが不可欠。
観る人がいなければ、続けられないのです。
今回この舞台を観た方の中で、フラメンコや和太鼓、三味線といった日本音楽、近松門左衛門の戯曲、または観劇そのもの、などなど、さまざまな角度で興味が沸いた方が、次の機会に何か、自分に取り入れることを目的にそのものと触れ合うかも知れない。
そしてそれが、素晴らしい芸術の継承につながるような気がしてならないのです。
そういった面でも、ぎゅぎゅぎゅーっと詰まった、いい舞台だったなと思います。
さて、曽根崎心中。
愛し合う二人が心中する悲しいお話です。
もちろん、その時代ではどうしようもない選択だったのでしょうけれども、どうしても思ってしまいます。
生きていてほしいな。
逃げてでも、二人で今生で幸せになってほしいな。
義理に重きを置く社会ですし、二人だけが幸せに、なんて、きっと考えもしなかったでしょう。
でもね、世界は広いんだよ。
と、教えてあげたい。
私が観に行った日は千秋楽ということもあって、著名な方も多くみえていたそうですが、私は休憩時間にこの方に会いました。
著者の稲垣えみ子さんです。
もう、びっくり。ロビーでふと見上げたら、すぐそこにお一人で立ってらしたのです。最近読み終えたばかりだったので、お声かけさせていただいて、本の感想や質問をご本人にお伝えすることができたのです。なんとも物腰の柔らかく、素敵な会話でした。
「人生はどこでもドア」
フランスのリヨンに14日間、暮らすように旅をするエッセイです。
旅慣れているわけでも、語学ができるわけでも、特別に魅力的な性格でもない(ご本人曰く)。不安だらけ。でも、いつも(日本で)暮らすように過ごせばなんとかなるんじゃないか。
旅のエッセイとしても、とっても面白いですが、とても勇気と自信がもてる本です。
日々の日常を、自分らしく丁寧に生きていれば、どこでも暮らしていける。どこへ行っても、自分でいればいいのだから。
そう、人生はどこでもドアだ。
暮らすような旅がしたい。でも今の私には、正直、このような旅は難しい。
けれども、旅をするように、旅人としてその地を丁寧に暮らすように、毎日を生きることはできる。
なんだか、自分が誇らしく思える本なのです。
さて、話は戻って。
曽根崎心中の徳兵衛とお初にお伝えしたい。
どこへでも行けるよ、あなたたちの世界は広いけど、すぐそばにあるよ。
現代の、観客の一人はそう、エールを送りました。
あなたのどこでもドアが、力強く開きますように。