心地よい時間の許し方

用事を済ませた後、ふと思い立って公園に行きました。天気もいいし。

公園近くのパン屋さんでパンを買って、すぐ隣のコーヒー屋さんでコーヒーを買って、トコトコ歩いてベンチに座ります。

ベビーカーを休めるお母さん。なぜかバケツをかぶって走り回る女の子。写真を撮り合う若者たち。軽快に歩き過ぎていくご夫婦。
すぐそこにある風景なのに、不思議と音が伴いません。
聞こえてくるのは、風の音。鳥の声。葉っぱの揺れて重なる音。実の落ちる音(たぶんどんぐり)。

少し前まで、こういう時間を持つことに罪悪感のようなものを感じていました。

やらなきゃいけないことはあるし、やったほうがいいこともあるし。こういう時間が持てない人もいるのに。

人には言えるのです。
「自分を大切にする時間は必要だよ。」

けれども、自分にはなかなか言えない。許しがでない。

でも、こういった時間を持つことで、自分自身が心地よくいられるのであれば、それは家庭でも、子供にでも、仕事でも、いい影響があるのではないかしら。

こころとからだが健やかでいた方が、やさしい環境が作れる。人に対しても、何に対しても。
そのために必要な時間。

イライラしているママよりも、ニコニコしているママのほうが、子供は好きでしょ?
私は、娘に好きでいてほしいから、ニコニコしているママをたくさん見せたい。なので、こうして一人で、どんぐりの落ちる音を聞きながら、公園でコーヒーを飲む時間も必要なのです。

それから。
パンを買ったことで、パン屋さんが。コーヒーを買ったことで、コーヒー屋さんが、潤って(金銭的に。少しだけども。)くれる。

自分が選んだこの時間が、たくさんの人を潤すことができるかも知れない。

そう思うと、心地よくいるために費やす時間やお金が愛のあるプレゼントのように思えるのです。

フラメンコを続けるのには、お金も時間もかかります。

続けるかどうか、迷ったことが何度もあります。

ある時、

いつやめてもいいんだ。

って、思えたら、とても楽になりました。

いつやめてもいい。きっと、今まで学んだことは、今後の何かに活かされる。

だから、その時間が自分にとって心地よいのであれば、可能な限り続けよう。

それでもなかなか、自分に許可が出せないときに思うことがあります。

「人生一度きり」よりも、私は効きます。

(何度も生まれ変わってきたとして)
「地球に、人として生まれてくるのはこれが最後」

そう思うと、いろいろ許すことができますよ。

大丈夫です。あなたはあなたの選ぶことを許してください。
あなたがいつも心地よくいられることを、こころから応援しています。