歌うように生きる

9歳の姪っ子が好きな星野源。
源ちゃんと呼んでいます。

娘は映画「ドラえもん」の歌が大好き。

ドドドドドドド、ド、ドー、ドラえもん。

いやー、すごいなあ。源ちゃん。

何年か前に、ラジオでよく流れていた

「くだらいないの中に」

運転中に聴いていて、いい曲だなあと思っていました。

髪の毛のにおいを嗅ぎあって
くさいなあってふざけあったり
くだらないの中に 愛が
人は笑うように生きる

最近、ちゃんと歌詞を知ってわかったのですが、わたしはずっと勘違いしていました。

人は歌うように生きる

だと、思ってた。

母国語で歌うというのは、やはりそうでない言葉で歌うのとは、自分の心に入っていく感じが異なるように思います。
もちろん人への伝わり方も。
より、自然に。より、すとん、と。

スペイン語や英語で歌うことが多いので、もちろん歌詞の意味を調べて、発音に気を付けて歌います。
でもきっと、少なからずその努力が、不自然さを生んでしまう気もします。
なので、たくさん努力して、頭で考えて、練習して、そのあとは全部忘れて自然に、すとん、と、伝わるように歌いたいものです。

フラメンコの踊りでも、私は身体に入るまでは、がちがちにコンパスで数えて踊ります。でも入ってしまったら、忘れちゃう。

もとい。あまり数えない。

踊りでも歌でも、考えていながらも、考えない、境地。考えない集中力。これは練習するしかないのかも知れません。
でもきっと、そこまで来たら、人に何かが伝わるような素晴らしい表現が生まれるのではないかと思います。

遠回りのような気もするけれど、それはやはり、異文化を学ぶためにはどうしても必要な時間。

努力しないといけないというと、大変な思いをしなくちゃいけないように聞こえてしまうけれど、
楽しいから、好きだから、やる。

苦しんでやるものでは、ないです。

もう一つ。
いろいろ忘れて、自然に表現したときに伝わる何かは、その人の中身、本質から出てくるもので、それらは日々の生活から得るものなのではないかと思います。
きれいだな、とか。面白いな、とか。悲しみも、寂しさも。毎日の出来事が自分の糧になって、それが表現力や無意識に伝えることのできる感動につながる。

歌うように生きる。

歌うように、生きよう。

あなたの、歌うような毎日をこころから応援しています。