書く意味とか

こうして、文章を書いているのが好きです。

書いているっていうのかな。

言葉にして、文字にして、キーボードで打つ、ということが好き。(話すよりも何十倍も)

ブログを始めたころは、フラメンコのあれやこれやを自分の学びのために書いていました。

それをこうして、世の中に見せていたということは

誰かに見てほしかったのだと思う。

自分だけで終わりにせず、誰かに、見てほしいと思う。

見て、読んでよかったなと思ってほしいと思う。

これは自己承認欲なのか、自己顕示欲なのか。

そもそも書きたいだけならば、日記を書けばよいのであって

誰が見てくれるかもわからない方法をとらなくてもよかった。

でもでも、こうしてブログにしているわけです。

今でもことばをつなぎ、文章にしていますが

時に思う。

私がブログを書く意味って、なんだろう。

誰かに褒めてほしいのか、共感してほしいのか。

先日、2時間くらい待つことがわかっていたので、何か新しい本を買って読んでいようと選んだのがこちら。

益田ミリさんの「ツユクサナツコの一生」

私の好きな蝉のお話が読めます。(蝉自体はちょっとこわいので苦手)

試し読み | 『ツユクサナツコの一生』益田ミリ | 新潮社 (shinchosha.co.jp)

ドーナツ屋さんで働くナツコさんが描く漫画。

読んだ女の子がいうのです。

「なんか、わかる。

わかるとなんか、嬉しい。

嬉しいだけではない。

読む前と、読んだあとではわたしの世界の質量は

ちょっと違う気がする。」

ああ、そうだった。

私の書くことばで

わたしはあなたにそう思ってほしいんだった。

今、偶然という奇跡の流れの中で

このブログを読んでくださっている

あなたのこころに

なんか、わかる

なんか、うれしい

こころの質量がちょっと違う気がする。

そう思ってもらえること届けたかったんだった。

わかっていたのに、わからなくなっていた。

そんな気持ちに、気づきました。

さて、もうひとつ考えなくちゃいけないこと。

書くことと、お金の意味。

わたしの心の整理になりますが

次回もよろしかったらおつきあいくださいね。

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