こんにちは。¡Hola! Hello! Bonjour! Bula!
私のブログの解析ツールみたいなのがあり、閲覧国というのがあって(最近知りました)
もちろんほとんどが日本だけど、スペイン、アメリカ、香港、フランス、スイス、メキシコ、アルゼンチン、そしてフィジー(!)などなど、たくさんの国が書かれています。
どういった過程で観てくださったのかはわかりませんが、
嬉しいです。ありがとうございます。
すこしでも、何かお役に立つことができていたらなお嬉しいです。
今年は、「世界」が私のまわりにもあるんだと気づくことが多くありました。まわりじゃないね。わたしが世界の中にいるんだな。あなたも、わたしも。
先日のダビ・ラゴスとアルフレッド・ラゴスのクルシージョ。
フラメンコの歴史に関することで、難しいこともあって記事にしようかどうしようか、とも思ったのですが、なんとなく、「今書きなさい!」と言われているようなことが起きているので、少しですが、私なりの解釈も含めて書こうと思います。
歴史は2千年前に遡ります。フラメンコができるずっと、ずっと、ずっと前です。
セファルディという人たちがいました。スペインのユダヤ人という意味です。
彼らは音楽を持っていました。それは、アラブ音楽やアジア、そのほかの国にあった音楽(のようなもの)、主にモーロ(クリスチャンではない人たちの総称。いまでは主にイスラムのことを指します)の音楽(のようなもの)をミックスさせて造られました。
http://dsr.nii.ac.jp/music/15jew.html
そのころから、スペインのアンダルシアには「ロマンセ」が、字を持たない社会でのかわら版のような役割であり、出来事や物語をメロディーにのせて伝えていました。
そして、さまざまな文化を入り混ぜながら出来上がったセファルディのメロディーをロマンセに合うように変化させて歌われるようになるのです。当時は伴奏はなく、リズムも決まったものはありません。
ダビはセファルディのメロディーのままのと、ロマンセに変化させたものを同じ歌詞で歌ってくれました。メロディはとても似ています。
悲しい一人のヒターナの歌。私は修道女になりたくなかった。でも母さんがむりやりそうさせた。決めらた私の人生。
アンダルシアは今では、スペインの南部の地方のことですが、昔はほとんどのスペインの地がアンダルシアでアル・アンダルスと呼ばれていました。
たぶん、その過程でもさまざまな地域の文化や音楽と混ざっていったんだと思います。
そして、この、セファルディーのメロディーがペテネーラと変わっていきます。
ダビは歌います。ペテネーラ・アンティグア(昔のペテネーラ)
まだ、今のフラメンコはスペインにありません。
ここで、アメリカ大陸発見が出てきます。コロンブスです。(1492年?)
発見し、上陸したアメリカ大陸には、奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人や先住民がいました。それから、スペイン人、ほかのヨーロッパ人、東洋人がやってきます。
そこでまた、それぞれの音楽や文化と混ざりあうのです。
スペイン人が持っていたセファルディを基にした歌は、まだ決まった形式はありません。当時は、歌は聴かせるものではなく、楽しむために踊るためのものでした。フォルクローレのような。そこでペテネーラを踊るための歌にしたのです。
これが、ペテネーラ・アメリカーナ。踊るための早いリズムです。
おそらく、この時、伴奏ができたんだと思います。
踊るための音楽というものをアメリカから持って帰り、ファンダンゴ、セビジャーナス、ビジャンシーコ、ホタなどが出来上がります。それぞれの地域の音楽を踊るために形式を作っていったのです。(3拍子)
踊るために作ったペテネーラ・アメリカーナをスペインに持ち帰り、「聴かせるために」ゆっくりしたのが現在のフラメンコのペテネーラです。
そしてこの、ペテネーラは、今のフラメンコに非常に大事なもので、ここから、ソレアになっていきます。
アルフレッドがペテネーラからソレアに変わるギターを弾いてくれました。
ペテネーラ→ペテネーラ・ソレア→ソレアのようにゆっくりと変化していきます。
まだそのころは、ギターの弾き方も上から下に弾くひき方(なんというかわからない)しかなく、そこに、下から弾いたり、アルペジオを弾かれたりして、今のような(聴いてすぐにわかるような)区別しやすくなっていきます。
ダビがまた歌います。
私はベラクルーム(メキシコ)で死ぬだろう。帰りたいスペインに。私のこころはスペインにある。決して帰ることのできない私のスペイン。
これをペテネーラ、ペテネーラ・ソレアで。これはソレア・デ・トリアーナに良く似ていました。
ダビ・ラゴス アルフレッド・ラゴス ペテネーラとソレア
今回はここまで。
次回は、タンゴの起源、それはアフリカ。です。