漫然とaprovechar

外国語を学ぶということに終わりはないなあと、常々思うわけですが

私の母国語である日本語にも(でさえも)新しく知ることは多々あります。

最近読んでいた本に

「子供のように漫然と過ごす」

とありました。

ん?これは、どう過ごすんだ?

漫然(まんぜん)とは、とりとめのなく、ぼんやりとした様子。

検索してみたら、「漫然運転」と出てきました。

ぼんやり考えながらの運転のこと。漫然運転は危険です、という文面で使われています。

それから、「漫然と生きる」というのも出てきます。

目標もなく、なんとなく生きる。

さて。

最近覚えたスペイン語に

aprovechar というのがあります。利用する、活用する、活かして使う。

aprovechar la oportunidad チャンスを掴む

無駄にせずに使うということなのかな。

時間の過ごし方というのは、それその人それぞれに、どうにでもなってしまうもので

個人で管理できる最大の共有物かも知れません。

一日ならば、誰もが24時間。

私、よく、ぼんやりしちゃうんです。

そして、10分、20分と過ぎてしまう。

考えてないわけでもないし、かといって特別なことを考えているわけでもない。

大体が、今、考えなくてもいいことです。

過去を思い出したり、未来について考えるというよりか、過去と今と、未来とを一緒に考えている感じ。

ま、どうでもいいことです。

そして時々、ぼんやりしに出かけることもあります。

近所の公園とか、パン屋さんのテラス席とか。

集中して、ぼんやりするために。

たぶん、私には必要なんでしょうね。そういう時間が。

冒頭の「子供のように漫然と過ごす」というのを、我が家の娘で思い描こうとするのですが

子供に、とりとめもなく、ぼんやりと、何かをしていることってあるかしらと思う。

例え、それはなんのためでしょう、と思うような行動でさえ、彼女たちには理由があるように見えるから。

目的をもって、挑んでいるように見えるから。(内容はさておき)

「漫然運転」の反対語は、「集中運転」だそうです。

「漫然と生きる」の反対語は「毅然と生きる」かな。

集中して、漫然と過ごす。

毅然として漫然に生きる。

私の漫然な時間は aprovechar だと思いたい。

さてさて。

この記事を書くために、久しぶりに開いた国語辞典。たぶん高校時代からの代物ですが

しっかりと「漫然」に印がついていました。

過去の私もこの文字を引いたんだ。

まるで初めてのように調べたんだけどな。

過去も、今も、たぶん未来も、同じような私なんだろうな。