気になっている、でも実際には試していない。
ということがどれだけあるかしら。
そんな時に、一歩踏み出すきかっけが
偶然の出会いだったりします。
先日、本屋さんでぱらぱらと読んでいた益田ミリさんの本に
「パターソン」という映画が出てきました。
そういえば。気になっていた映画だった。
そんなわけで、レンタルして観たのがこちら。
パターソンに住む、パターソン。
バスドライバー。朝起きて、仕事に出かけ、犬の散歩。バーで一杯。そして詩を書く。そんな1週間。
彼には愛する人がいます。彼女も彼をとても愛してる。
それがとても重要で、益田ミリさんは、この映画を恋愛映画と呼んでいました。(同感です)
そして私が感じたのが、「偶然はすでに知っている奇跡」ということ。
パターソン本人は、詩を書くことが仕事ではない。
妻しか、たぶんその、素晴らしい詩を知らない。世に出そうとも思ってない。それで満足。
その妻は、彼女も仕事にはなっていない(たぶん)けれど、アーティストで、沸き起こる情熱で絵を描き、歌を歌い、カップケーキを焼く。
互いに素晴らしさを認め、愛している。(何度でも言いたいくらい)
二人とも、情熱を注ぐものがある。
でも、その向き合い方が全く違うのです。
彼女は、愛をエンジンにして様々なものを創造します。
そして、確信がある。わたし(たち)が望む結果が得られる。その創造を広げていくのがわかる。
対してパターソンは、詩を書くことは、妻を愛すること。創造は愛、というか、彼女そのもの。彼女への、さまざまな想いが詩となる。彼は彼女がすべてといってもいい。かといって、あくまでも静かに、そしてとても深く。
彼女の話す夢の話は、彼にそのことをフォーカスさせ、だから双子をよく見る。
それは、彼の意識が彼女への愛だから。
そして同じく詩を愛しているので、詩を愛している人を見つけます。
そして、そんな彼には、また偶然がおこります。
静かで、ちょっとした狂気を持った、美しい偶然。
映画の終盤、日本人の詩人が現れます。彼がいう、”A-ha” 。3回ほど出てくるのですが
「なるほど。」から「そうか。やっぱり。」そして「ほらね。やっぱり。」
に変わっていくように聞こえます。
人は、心から望んでいることをしているかどうか、不安になることがあります。
これは、進むべき私の道なんだろうか。これをしていて、何か意味があるんだろうか。
そんなとき、出会った偶然(ハプニングともいう)がその答えを導いたり、答えそのものだったりします。
それは願っても、起こるものではないけれど、だから美しく、愉快だとも思う。
そんなわけで、秋の夜長にいいのではないかなという映画「パターソン」でした。
日本版の予告はあまり好きじゃない。どうしてこう違うのかな。
美しい静けさの中の、深い情熱。こちらのほうが私は好きです。(好みだから、致し方なし)
パターソンは運転しながら詩を語ります。いうまでもなく、それは愛の詩(!)
よかったら、ご覧くださいね。