春ですね、いつの間にか。
好きなのです。春。
でも、新たな何かが始まるようなワクワク感があるような、何かを始められるような大胆さを感じながらも
言いようもない、感覚に襲われるのです。
膨大な過去が蘇るような、顧みないといけないような。
それでいて始まりの合図がもう鳴っているような。
あの時の気持ちは、置いてきぼりでいいんだろうか。とか。
何か大切なことを見落としてるんじゃないだろうか。とか。
カタルシス
悲劇を観て、自分の心の恐れと憐みを呼び起こし、感情を浄化する効果のことで、「精神の浄化作用」のことだそうです。
たぶん、人には
そういった時間が時おり必要なのではないかなと思います。
少なくとも私には、この春の初めの時期にくる感覚が
次に進むための「浄化の儀式」なのかも知れません。
そして、そこには解決策を見つけようとしなくてもいいのだと思います。
わたしには浄化されるべきものがあったのだと気づくだけで
必要な作業は完了される気がします。
不安定な現状も相まって、疲れている方もいるのではないでしょうか。
私もそうです。
目にするもの、耳にするもの。ことばはこころを作ります。
思考が感情を、そして、現状を作ります。
大切なものや人があればなおさらです。さまざな思考と感情。
今、私のいるところでは雨が降っています。
風もなく、静かな雨。それでいて、意志をもって落ちているような潔さ。
悲劇ではないけど
わたしの心が浄化されているような気持ちです。
今夜の雨によく似合う曲。
あなたが心地よく春を迎えますように。