3.11に思うこと|長田弘「空の下」

今日、娘が幼稚園から帰ってきて、

大きい地震があった日だから、こうやって目をつぶったんだよ。

と、教えてくれました。(黙とうをしたのだと思います。)

そして、「ままは地震の時、子供だったの?」

と聞かれたので、

(もちろん)大人だったよ、と答えました。

9年前、大人のわたしはその日のライブの準備中でした。

フラメンコカンテライブの初企画。本番は数時間後です。

その日は中止とし、お店への連絡や、お客様への連絡、共演者の帰路や宿泊など

状況がよくわからないまま、急いで行いました。

案外、こういう時ほど冷静で、あまり不安ではなかったのですが

とりあえずのことが済み、ふと我に返ると

自宅は?家族は?思い出したかのように不安が募ったのを覚えています。

そして日がたち、

多くの方がそうであったように

「自分にできることはなんだろう。」

と、考えていました。

今の新型ウィルスの状況と、全く違うけれども

この、春を感じさせる季節と相まって、その時と同じような気持ちが沸き上がります。

思えば9年前のあの頃から、

わたしにできることは何なのか、何かや、誰かのために何ができるのか。

思い続けているような気がします。

そして、9年大人になった今の私は

「わたし」を活かして生きていこう。

わたしの、中身。能力、性質、経験。それらを活かして、つまりは仕事として生きていこう。

必要な人に届くように。

そう思っています。

実は、昨年からそれらを踏まえて企画していることが、この春から動き出せそうです。

(近日ご紹介します!)

「わたし」を活かしたい。でもそれには「あなた」が活かされていることが必要。

ひとには人が必要。

でも。

ひとにはひとりでいることも必要だと思うのです。

孤独と向き合い、考え抜いた時、人とのつながりや自然の美しさ、強さや弱さ、やさしさや悲しみに気づき、そのために自分ができることを見つけられるのかも知れません。

ちょうど、今日、車の中で聴いていたラジオで朗読されていた詩です。

長田弘「空の下」 抜粋です。

黙る。そして、静けさを集める。

こころの籠を、静けさで一杯にする。

そうやって、時間をきれいにする。

独りでいることができなくてはできない。

静けさのなかには、ひとの

語ることのできない意味がある。

言葉をもたないものらが語る言葉がある。

独りでいることができなくてはいけない。

空の青さが語る。賢いクモが語る。

記憶が語る。懐かしい死者たちが語る。

何物もけっして無くなってしまわない。

独りでいることができなくてはいけない。

この世はうつくしいと言えないかもしれない。

幼い時には、しかしわからなかった。

この世には、独りでいることができて、

初めてできることがある。ひとは

祈ることができるのだ。

あなたの明日が、穏やかで美しいものでありますように。