やりがいと生きがい|天職の呪縛から

先日運転中のラジオから、やりがいについてのどうのこうの(忘れてしまった)

を聞いていて、ふと思いました。

やりがいと生きがい。

似ているようで、全然ちがう。

甲斐(したことの結果の効果、値打ち)

とすると、「やりがい」は

「やること」にかけた労力は、それだけの価値があったと納得できること、かな。

何かしら代償がないと、やりがいがなくなりがち。

とすると、「生きがい」は

「生きること」にかけた労力は、それだけの価値があったと納得できること、

なのか?

そもそも生きがいに代償は必要だろうか。

生きがいは、愛からくる力。

好き、楽しい、うれしい、愛しい。

生きがいは、

なんだかんだある世界でも

生きていこうと思えるエネルギー。

生きがいを仕事にしてこそ、天職だということも聞きますが

わたしは「天職」というのは

やりがいを持ち続けることができる仕事だと思う。

得意なことが好きなこととは限らない。

好きなことを仕事にしなけれらばいけない、という呪縛から

抜け出すこともまた、

生きがいに気づくきっかけとなるかも知れません。

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