落語とフラメンコ|人生は滑稽だ

最近読んだこちらの本

この本の中に、

落語の「文七元結」という話の心の落ちどころが丁寧に書かれています。

私は落語についてほとんど知らないけれど(まったくと言ってもいいかも知れない)

その面白さは、なんとなくわかる。

話の落ちどころで、おおーとなる感じ。

これは、その話に共感しているからだと思う。

さて、落語とは何でしょう。

立川談志さんは、落語の要は「人間の業の肯定」だと言います。

人間のどうしようもなさを肯定することで、救いをもたらすのが落語である。

人間の愚かさ、小ささ、滑稽さ。

人って、そんなものよね。と愛で包んであげるような共感。

なんだかんだあっても、人は世と折り合いを合わせてたくましく生きていく。

私はフラメンコが好きですが、

最近までは、非日常感を楽しんでいた気がします。

自分の世界とは別の、なんだかとてもエネルギッシュできらきらした世界。

日常とは遠いところにある芸術。

もちろん、それは間違っていないと思う。

異国の芸術を尊敬する、ものの見方は大切だと思う。

でも、たぶん。

本来のフラメンコって、もっと日常に密接で、人の心に近いもの。

人生の滑稽さや、愚かさ

どうしようもなさ、心の小ささ。

間違ったり、へこんだり、傷つけたり、傷ついたり。

そんな平凡な日常におこる、非凡さに

心を近づけ、共感する。

ここ数年、「自分らしく生きる」というテーマをライフワークにしてきていますが

自分らしさというのは、

その、どうしようもない愚かさをもった私を愛する

そして、愛される。

ということなんだなと、最近思います。

それは、努力しないというのとはちょっと違う。

なんだんかんだありますが、一生懸命生きています。

という、ある意味それ自体が滑稽な生き方が

自分らしく生きるということなのだと思う。

落語とフラメンコ。

どこか似ているのは

心の落ちどころに共感するというところかな。

落語を外国の方に理解してもらうように

フラメンコのそのあたりに共感するのは難しいかもしれません。

やはり、文化の違いで共感に差がでるのは否めません。

でも、歌うとき、踊るとき、

そしてステージを見るときに

どうしようもない人間の愛すべき姿を自分なりに取り入れてみるのも

楽しみ方の一つになるのではないかなと思います。

viva la vida

人生は滑稽だ。だからこそ、美しい。

あなたのそんな生き方を、心から応援しています。