フラメンコの歴史(タンゴの起源)|ダビ・ラゴスのクルシージョ➂

前回の続きです。

アメリカ大陸発見から、さまざまな文化や音楽と交じり合い、スペインに戻ってきます。

戻ってきたときに、大きく2つのリズムがありました。

3拍子と4拍子(2拍子)です。

これがフラメンコのリズムのもとになります。(シギリージャは別にルートがあるそうです。)

3拍子は、前回に記載した、ペテネーラからソレアに変わっていく過程のリズム。

4拍子は、タンゴになっていきます。

当時、スペインにはアフリカ系の黒人が働くためにいました。おそらくアメリカ経由が多かったのだと思います。

アフリカにはそのころ既に、独自の音楽があり、彼らはそれをスペインに持ってきます。

レコンキスタ(国土回復運動 イスラム教からキリスト教)が終焉を迎え、ますます虐げられるようになった、黒人やヒターノ、貧しい人たちは、外に追いやられ、独自のコミュニティーを作っていきました。そこでまたいろんな音楽が交じり合います。

そのころには、フラメンコはありましたが3拍子のもので、まだ2拍子系はありません。ブレリアもありません。

アメリカ大陸でのアフリカの音楽は、早い4拍子でした。

それがスペインに戻ったとき、ゆっくりとなり「ハバネラ」と呼ばれます。

カルメンで有名な、あの「ハバネラ」です。

これを再び早くしたものを「タンゴ」と呼ぶようになりました。

ango とは「アフリカの」という意味があるらしく、タンゴ、ファンダンゴはそこから来ているそうです。

この「タンゴ」は、今のフラメンコではなく、歌うための(聴くための)曲です。

偉大なカンタオーラ、ニーニャ・デ・ロス・ペイネスはタンゴを歌う歌手として「タンゲーラ」と呼ばれていました。

今でも歌われる有名なタンゴ。

そしてこの「タンゴ」が、ペテネーラ、ソレアなどのフラメンコの要素と交じり合い、「ティエント」になり、「タンゴ(フラメンコの)」になっていきます。

この時点では、まだフラメンコの決まりはなく、曲の明確な区別もありません。

ティエントのリズムも、今のような決まりはなく、4拍子(2拍子)だったり、ソレアのリズムだったりしていました。

ダビが歌います。同じメロディーを、ティエントとソレアのリズムで。

ここで、ギターの伴奏問題がでてきます。

ギターがなければ、自由に歌えますがギターを弾く場合には、決まりが必要となってきます。

住んでいる場所によって、既にあった音楽と交じり合ったもの、それに決まりを作り、ギターが弾かれるようになります。

ダビが再び歌います。マラゲーニャとタラントを同じ歌詞で。

アルフレッドのギターが、この2曲を全く別のものします。キャラクターを確立していくのです。

少しブレリアのリズムに触れます。

アルフレッドがギターを弾きます。同じメロディーを3拍子と4拍子で。リズムだけを変えます。混ざり合えば、ブレリアになります。

さて。

曲の確立と、ギター伴奏問題に尽力したのが

ラモン・モントージャとアントニオ・チャコンです。

ラモン・モントージャはギターを歌の伴奏だけではなく、ギターの演奏という面でもスタイルを作り上げていきました。

ラモン・モントージャとアントニオ・チャコンのタンゴ

https://youtu.be/a-qURXD4amE

今回はここまでです。

さて、つづきはどうしようかな。

ギターの起源とかも話していましたが、むむむ。なかなか難しい。

今、あなたが見つめているフラメンコは、何千年もの旅をして今ここに来ています。

今いるのは、今のあなたです。

でもそこで見ようとしているものは、さまざまな歴史や想い、大陸とか、世界とか、争いや宗教などを経て来ている。そしてそれを今、私たちの前に見せてくれるように尽力してきた人たちがいる、ということを心のどこかに置いておくことが

フラメンコへの恩返しになるのではないかなと、思っています。

あなたのフラメンコのある日々を心から応援しています。