年頭から人生初のインフルエンザになりました。予防注射してたんだけどな。
もうすっかりよくなるはずなのに、なぜだか心も体もいまひとつ。
踊ったり、歌ったりもしてみましたが、なんというか、いまひとつ染みてこないのです。
高熱で、強制終了させられたような私でしたが、再起動に時間がかかっているようで。
そんな時は、ネガティブな種が
「ここにいますよ、ほらほら、あなたの中にまだいるんですよ」
とばかりに、主張し始めます。
マイナス方向の考えのくせみたいなのがやってくるのです。
でもこちらも慣れているので、ひとまず「やあ、どうも」と認めてあげます。
そしていつもなら、心が軽くなるような方向にもって行こうとするのですが
今回は、なに分、頭も体も起動していないので放っておいてみました。
湧き上がってくるものを否定せず、流すだけ。答えも見つけようともせず、ただ、ただ受け流すだけ。
すると、なんともいえないすっきりさがやってくる感じがします。
好きなことを、ただ好きでいると心が豊かになるように、好ましくないことも、ただ好まずにいても、同じようになるのかも知れません。
大切なのは、反抗しない。良くしようとしない。そのまま。それだけ。
そんなこんなを過ごしていたら、あまりいろいろ考えずに、美しいものに触れたいなと思い、この曲を聴いていました。今はお布団の中でだって、こうして観たり聴いたりできるのですから、人生の変化だってスピードアップしていそうです。
por una cabeza ポル ウナ カベサ
アルゼンチンタンゴの名曲です。ボルベールと同じ作詞、作曲者だったんだなー。
アル・パチーノの映画でもタンゴを踊る美しいシーンで有名な曲です。
por una cabeza とは、首ひとつの差 というよう意味だそうです。競馬のゴールでちょっとの差で負けちゃったように、恋のレースで敗れたことを嘆きながらも、彼女への愛を甘くうたう歌。歌詞が長いので、完全再起動したら訳してみたいな。
アルゼンチンタンゴって、美しいな。
実は、友人の誘いでフラメンコを始めるときに、このタンゴを習うか迷ったのです。当時フラメンコの知識がほとんどなくて、アルゼンチンタンゴの曲なら知っていたし。この曲も好きだったし。
もし、タンゴ教室が近くにあったら、今頃どうしていたかしら。
首ひとつの差で、今を選んだのかも知れません。
この曲、結婚式で踊るファーストダンスで踊られることが多いそうです。
ダンスって、こういうためにあるのかも知れませんね。
人生を踊るために。
「タンゴは人生と同じ。足が絡まっても踊り続ければいい。」
映画の中のセリフです。
あなたが首ひとつの差で選んだ今を、こころから応援しています。