不登校の親の約5人に1人が
離職をしているというニュースを目にしました。
子どもが学校に行けず、うちにいる、だけでなく
遅れて行く、途中で帰ってくる、など保護者である人がどうしたって必要な状況が多くある場合、
仕事をしていないほうが対応できることは言うまでもありません。
小さい学年では留守番させるのも難しいし、
なによりも、心配だから一緒にいてあげたい。
そしてせっかく学校に行ける機会をなくしたくない。
学校に行かなくてもいいよ、というのも、今ではよく聞きます。
親がしてあげることは、行かないことを認めてあげること、とか。
もちろん、子供の気持ちに寄り添うことは大切です。
でも、認めてあげた人のケアはどこでしてくれるんだろう。
親だって人ですから、心も体もあるわけです。
何かしら問題を抱えるお子さんの保護者(圧倒的に母)が心身の病を患う傾向があるということも言われています。
ネットや本には、双方についての解決、解消方法も出ているようですが、
人はやはり個々ですから、
当てはまらないということもあるでしょう。
私が書くことも、もちろん、当てはまらない方もいると思いますが
考え方として、というより
身の置き場として、
子どもと線を引くことがいいかなと思います。
どうしても、母は子どもを自分の枠で囲ってしまいがちです。
だって、出てきたときはなんにもできなかった生き物を、ここまで育ててきたのだもの。
でも、その枠を、自分自身のために、自分だけの枠にして
子どもとの心の距離をとってみるのもいいことだと思う。
具体的には、自分の好きなものを作って食べるとか。
うちのむすめは、キノコやピーマンが嫌いですが
私は自分を大事にしたいとき、わたしが好きなキノコとピーマンをどっさり炒めて食卓に出します。
(むすめが食べるものも出すけれども)
ゴーヤチャンプルとか。山椒の効いた麻婆豆腐とか。
「好きなものを自分で作って、食べる」というのが、私にはちょうどいい、加減なんです。
それも、やはり個々であり、
人によってカフェでお茶をする、とか、友達とおしゃべり、とか、一人で運転、とか。
こころの希望+可能な状況=自分にとっての、良い加減
その、ちょうど良い加減、というのを
できる限り自分の枠で、かなえてあげてもいいかなと思うのです。
残念ながら、一時的な離職については、子どもの状況によってはやむを得ないところがあると思う。
でも忘れないで。
助けを求めるところは、大抵、外にあるものです。
公的なサービスや、職場での提案の中にも、あなたの、ちょうど良い加減があるかも知れない。
ちょうど良い加減で頑張る。
大人も、子どもも、ちょうど良い加減で頑張りたい。
その加減を、お互いの枠の中でみつけられたら。
つらいことも多いと思う。
でも、大丈夫。
大丈夫、大丈夫。